生物の死生観と写真術は実に相性が良い。目前の事象を記録できると言うその特製からそれは当たり前のこと。
生命の誕生と死は人間の営みにとって最も重要なことであって、それを記録したいと言う欲求は分かる。
が、それを当人と撮り手以外の第三者に見せる、と言う選択をする時に、どういった場所、手段でどう言う人達に見せるか、と言う事は他のテーマよりももっとナイーブであって、撮り手は慎重に扱わなければならないと思う。
そして何より一番重要な事は、どこまで見せるか、と言う事。
人間は生物であって、肉を切れば血が流れる。言い方は乱暴だがあえてここでの主題としては、死ねば生物はただの物質である。
そう言った物をカメラに納め、一枚の写真にした時の訴える力は、他のテーマには絶対に表現できない力がある。
それをプレゼンテーションする場、方法は、撮り手が良く吟味しなければならないと思う。安易過ぎると全てが軽んじた物になってしまう。
色んな情報が絶え間なく流れ、跋扈する現代社会の中で、どう発信するかをもっと考えた方が良い。そうではないと、誤解や不快に繋がる事だってある。安易な感動はいらない。
とある一枚の写真を目にして、考えたこと。




写真と内容は関係ありません。いやー、降った降った。